書肆ミスカ コラム


 


 

漫画『葬送のフリーレン』にみる長寿と成長

山田鐘人 作の漫画『葬送のフリーレン』を読みながら、時間について想いをめぐらしました。本作は、人間と比較してずっと長寿な妖精が主人公であり、かかわる人間の「短命」さに戸惑いながら成長をしてゆく物語のようです。人間との寿命の違いが際立つフィクションの定番は、吸血鬼ものですが、吸血の場合は、そのキャラクター設定からいかに人間と共存するかがテーマとなりがちです。また、どちらかといえば精神的には老成した人物造形が多い気がします。
 何百年と生きる妖精は一体、どんな風に成長してゆくのか興味が湧きます。
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小説『スカイ・クロラ』の場合

昨日のコラムで、フィクションの設定における登場人物の生物的な寿命と内面の成長について触れました。類縁的ですがやや異なる物語世界として、森博嗣の小説『スカイ・クロラ』を見てみたいと思います。
 同小説では、若い年代で身体的成長が停止する「キルドレ」と呼ばれる人々が登場します。彼等は見た目は少年少女ですが、中身は大人ということになります。「キルドレ」の設定には、「生物科学的な輪廻転生」とでも呼ぶべきシステムを強制されている示唆があり、記憶がリセットされる点がまた別の要素を派生しています。閉じ込められた世界からどのように抜け出すかが、彼等の「成長」の鍵を握っているようです。
 当初この物語を知ったときに、私は、「キルドレ」は、いつまでも精神年齢が若年期にある現代人の隠喩かと勘違いしていたのですが、よく考えてみると逆でした。映画版に限れば、登場人物たちの葛藤や決断の様子をみると、置かれた状況での判断力を問いかける話と受け取りました。
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見慣れた光景

先日コラムで触れた映画『スカイ・クロラ』を見たときに、CGと背景の間の境界線が妙に気になった記憶があります。精巧な画像が作成可能なCGは、セル画アニメと比較して輪郭線が細くなるのです。現実世界には黒線の輪郭線などありませんから、セル画アニメと比較してCGの方がより「現実」に近いはずですが、CG表現はそれが精巧な程、むしろミニチュア的な印象が際立った印象がありました。
 しかし、もう一歩踏み込んでみると、これは私がセル画アニメを小さい頃から見続けており、頭の中に「変換回路」が出来ているから、そのように感じるという可能性があります。もの心ついたころから、3DのCGを見慣れて育った人たちは、両者を比較してどのように感じるか機会があれば尋ねてみたいものです。
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タクシー運転手の正義

木下麦監督のアニメ映画『オッドタクシー』を見ていて、なんとなくマーティンスコセッシ監督の『タクシードライバー』を思い出しました。かたやコメディ仕立てのミステリィ、かたや社会派ロマンスと雰囲気は異なるのですが、主人公のタクシー運転手、小戸川がかぶるキャップ帽が、なんとなく、モヒカン頭になったデニーロを連想させるのです。また、一介のタクシー運転手が街の悪に立ち向かうという大きな筋が一致しており、もしかしたらという気もします。
 もっとも、共通する点はこれぐらいで、内容的には別物です。主人公の性格からして、小戸川が冷静な知能派である一方、デニーロ演じるトラヴィスは、感情に任せて行き当たりばったりの行動を見せます。最後にハッピーエンドとなったのも、たまたまで、もしかしたら、議員を射撃し犯罪者になっていたかもしれない男です。少女を救うためにとった行動が彼をヒーローにしたのです。
 とここまで書いて、確か小戸川の行動を大きく決めたのもヒロインへの好意だったよな、と思い出しました。やはりオマージュだったのでしょうか。
『オッドタクシー』は登場人物たちの軽妙な会話の応酬が面白く、音声だけで聞いても楽しめる作品です。
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夏の宿題(8/23付のコラムの続き)

神保町のすずらん通りに古くから二軒の中国語専門書店があります。他の書店では見掛けない新刊本が平積みされる、まるで別世界のような処です。ときどき知見を広げようと書を物色に訪れます。十年ぐらい前ですが、その流れで購入した書籍に、『現代台湾奇譚』(伊藤龍平、謝佳静 著)がありました。8/23付のコラムで、台湾で知り合った日本漫画好きが諸星大二郎のホラー作品を「本気で怖がっていた」というエピソードを紹介しながら、実はこの本のことを思い出していました。同書では、台湾に現代も息づく「鬼」の世界を紹介しています。「鬼」といっても中華圏では、日本でいうところの「幽霊」を指します。霊感の強い少女は「陰陽眼」を持つと呼ばれるそうです。
 台南を訪れたとき、日々、地方紙に眼を通していたのですが、土地慣らしで地面を掘り起こしたところ、それ程古くない呪詛の跡が見つかったという報道を見掛けたことがあります。彼の地では、諸星作品の世界は、フィクションよりもずっと身近なものに感じられるのではないか、それが「本気で怖い」という感想の背景にあるのではないか。とりあえずの仮説です。
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犬があるくと本にあたる

旅先でときおり、思いもよらない本に出会うことがあります。長浜の観光通り、黒壁スクエアを散歩していたところ、フィギア工房海洋堂のディスプレイ店にゆきあたりました。そこで出会ったのが樫原辰郎著『海洋堂創世記』です。同書で描かれているのは、私にとっては、ものごころ付き始め、うっすらとした記憶を持ちながら、よく見極められないまま見失った情景です。ブレークした後の海洋堂と、その頃の記憶との間にあったギャップを本書で埋めることが出来ました。妥協のない職人世界に好感を持ちました。
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近くて遠かった未来、APPLE II

昨日のコラムで触れたフィギュアの世界と同様に、マイコンも、草創期の少し後に興味を持ち出した私にとって、近くておぼろげな世界でした。特に、APPLE IIという存在が、ただ眩しいだけで、本質をつかめない内に機器の進化が始まってしまったという感がします。通称もマイコンからパーソナル・コンピュータにかわり、桁違いの機能を持ったマシンが家庭に普及しました。
 中身のことがよくわからないまま、流れに合わせて利用をするようになりました。そうしたなか、大分あとになってから読んだものですが、漫画『スティーブズ』(うめ、松永 肇一 著)は、ちょうど『海洋堂創世記』のように、記憶の空白になっていた同時代に進行していた出来事を伝えてくれました。また書籍でも『アップルを創った怪物―もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』(スティーブ・ウォズニアック著、井口 耕二訳)が参考になりました。部品の性能が現在と比較して格段に低く、制約が大きいなか、いかに工夫をして最大限の性能を引き出したか、そこが凄いところだった、というわけです。
 当時のAPPLE IIは、ちょうど肩掛けの帆布カバンにぴったり収まる程の大きさでしたが、現在では同じ性能をもった手のひらサイズのレプリカが存在するようです。
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古本市で運試し 摩耶祭訪問

本サイトのリンクでご紹介している、武蔵野大学で学園祭が開催されました。摩耶祭と呼ぶそうです。むさしの文学館でも、古本市の催しがあると聞き、キャンパスを訪れることにしました。
 古本市の開かれた場所は、元々、待合室のような空いていた空間を整理し、文学館として有効利用を始めた処だそうです。主催の学生が工夫をこらし、あそび心のある催しでした。本を封筒に入れ、中身を見えないようにした上でヒントの一文を添えた「覆面本」や、購入する本をまったく運に任せた「古本ガチャ」などがありました。私は古本ガチャを一回試しました。景品の本も封筒に入れられて、推理用の一文が添えられていました。次のようなものです。
 -- 野島は、帰る家を失った少女に「かわいそう」と言わせた自分を嗤った。
 さて、何が出てくるでしょう。結果は明日のコラムで。
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封筒の中身

昨日のコラムでご紹介した、「古本ガチャ」の結果ですが、桜木紫乃著『ホテルローヤル』でした。初めて読む作家の作品ですので、また読後感など書きたいと思います。こうして、まったく意外というか、狭い視野の外にある作品に触れることができるという意味でも、面白い企画だったと思います。
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『先史学者プラトン』メアリー・セットガスト著(山本貴光、吉川浩満著)

管見ながら、神話時代の伝説に関してこれまで読んできた本は、その多くが良くて想像力、しかし実際には、大きく憶測に依拠したうらみがあったと思います。本書は、最先端の考古学の成果を導入しながら、プラトンが書き伝える「先史時代」について推理を展開した珍しい試みです。次の一文は、本書の持つ性格を簡潔に伝えるでしょう。
「アトランティスについての判断を保留すること、あるいは物語に誇張があるのを認めることは、現在の観点からありえないように思えるプラトンの物語を、すっかり無視することではない」(同書122頁)。
 絶対否定や絶対肯定という両極端の間に、新しい現実が埋もれている予感を感じさせる本です。
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『プラネタリウム・ゴースト・トラベル』坂月さかな作品集

先月のコラム(9/11付け)でご紹介した、『星旅少年』の著者の作品集を見かけましたので手に取ってみました。全体を通じて『星旅少年』の背景世界に関するお話のようです。ショート・ストーリーとイラストに散文詩を寄せたような構成で、静謐な空間を味合わせてくれる作品集でした。星の塔に泊まってみたいです。
 前回は、残暑の中ややフライング気味でしたが、秋の夜長のお伴にふさわしい一冊です。
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出品予定古書の一覧開示の件

新たな試みとして、≪Passage by All Reviews≫に出品予定の古書一覧の作成と開示を始めました。メニューの「古本」からご覧頂けます。
 出品予定の書籍の説明に「興味ある」ボタンを設置するなどの工夫をしてみました。クリック回数を出品優先度に反映してゆきたいと思います。一覧は随時充実させて参ります。どうぞ宜しくお願いします。
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出品予定古書の追加の件『シネマの神は細部に宿る』

出品予定古書一覧に、押井守著『シネマの神は細部に宿る』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『パンとサーカス』

出品予定古書一覧に、島田雅彦著『パンとサーカス』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『スマリヤンのゲーデル・パズル』

出品予定古書一覧に、レイモンド・M・スマリヤン著『スマリヤンのゲーデル・パズル』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『サンタ・クルスの真珠』

出品予定古書一覧に、アルトゥーロ・ペレス・レべルテ著『サンタ・クルスの真珠』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『オカルティズム』

出品予定古書一覧に、大野英士著『オカルティズム』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『ヴォイニッチ写本の謎』

出品予定古書一覧に、ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル著『ヴォイニッチ写本の謎』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『啄木鳥探偵處』

出品予定古書一覧に、伊井圭著『啄木鳥探偵處』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件 "THE CONAN DOYLE NOTES: THE SECRET OF Jack the Ripper"

出品予定古書一覧に、Diane Gilbert Madsen著 "THE CONAN DOYLE NOTES: THE SECRET OF Jack the Ripper"を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『マキアヴェリ、イタリアを憂う』

出品予定古書一覧に、澤井繁男著『マキアヴェリ、イタリアを憂う』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『新しいアナキズムの系譜』

出品予定古書一覧に、高祖岩三郎著『新しいアナキズムの系譜』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『異常』

出品予定古書一覧に、エルヴェ・ル・テリエ著『異常』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品予定古書の追加の件『皇帝たちの中国史』

出品予定古書一覧に、宮脇淳子著『皇帝たちの中国史』を追加しました。メニューの「古本」からご覧ください。
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出品日決定の件(6冊)

出品予定古書一覧の内、以下の6冊を«Passage by ALL Reviews» に搬入します。明日の夕刻までには、通販および店舗にて購入を可能とする予定です。
・ミシェル・ウエルベック著 『服従』
・ファイロス著 『二つの惑星に生きて』
・アンリ・ベルグソン著 『精神のエネルギー』
・A・N・L・マンビー著 『アラバスターの手』
・逢坂冬馬著 『同志少女よ敵を撃て』
・エルヴェ・ル・テリエ著 『異常』

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搬入完了の件(6冊)

昨日の通知の予定通り«Passage by ALL Reviews» への搬入が完了いたしました。


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わかったようで、わからない用語:ドヤ顔

ここ十数年来、アニメや漫画で「ドヤ顔」という表現を、しばしば見掛けるようになりました。相手に気づかれることを待つ自慢気な表情を、その相手に指摘される際に用いられているのですが、どうも、この言葉に出会うと字面が先行して実際の表情と結びつき難い印象があります。おそらく普段の生活で、用いる機会が薄い言葉だからだと思います。ところが創作世界でよく見掛けるので、分かった風に読み流し、聞き流しをするのですが、そのたびに微妙に引っかかるものがあります。言語学の用語を用いれば、シニフィアンのみで通用しているような不思議な感じです。
 これも一つの言葉の面白さ、でしょうか。


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読書と食事の共通点

この夏、倉橋由美子の『偏愛文学館』を読んでいた際、著者推薦の蘇東坡に興味を持ちました。集英社『漢詩大系』に、該当を見つけさっそく読みだしたのですが、分厚い本を教科書的に読みだしたせいか、夏の暑さのせいか、なかなか読み進めることができず、目に写る漢字が無機質に思え、うとうとし始めたので読書を中断し、二か月ほど過ぎてしまいました。
 それを今日ふと思い出して、同書を開き、目に留まった一、二篇を何の気なしに読んでみたのですが、不思議なことに今度はすんなり頭に入り、詩の世界を味わい楽しむことができました。同じテキストを目にしているのに、何故こうも違いがあるのか。あるとき知り合いのイタリア料理の専門家から、食事の評価はかなりの割合で、味覚以外のポイントで変わってくるという話を聞いたことを思い出しました。秋の穏やかな雰囲気が、好作用をもたらしたのかもしれません。まさに読書の秋です。
特に、秋の詩というわけではないですが、天の川を詠んだ詩由:

「天漢臺」 蘇東坡
 漾水東流舊見經。銀潢左界上通靈。
 此臺試像天文覓。閣道中間第幾星。



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紹介:近藤史恵著『間の悪いスフレ』

以前コラム(6/14付け)で触れた近藤史恵の〈ビストロ・パ・マル〉シリーズに、先月、新刊『間の悪いスフレ』が加わりました。まだ未読ですが、読むのを楽しみにしています。テレビ・シリーズが人気になっているようですので、ご存じの方も多いとは思いますが、「パ・マル」はフランス語で「悪くないねぇ」という誉め言葉を意味しています。日本では実際に何軒か、この言葉をお店の名前にしているビストロやレストランがあるようです。昨日は、「読書の秋」をネタにしましたが、「食欲」も秋ですね。新刊を持って、ビストロでランチといきたいものです。



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言語:"Consequences"(コンセクエンセス)について

ベン・アフレック主演の映画『ドミノ』を見ていたところ、見せ場でこの単語が登場しました。 遥かむかし受験生のときに、いわゆる「出る単」でこの単語の意味を「結果」と覚えて、なんとなくわかった気になり、その後、出くわすたびに「結果」「結果」と唱えていたわけですが、どうもピンとくるものがありませんでした。映画では、多岐にして長大な、文字通りドミノ倒しが終わったあとに、出てくる台詞なのですが、これを見てようやく単語のニュアンスが腑に落ちました。"con"は、「共に」とか複数で起きることの接頭辞ですが、"sequence"は、何か一連の出来事を指しており、つまり、様々な出来事が折り重なって、「今、"con-sequences"が眼の前にあります。」という意味なのでしょう。因果応報というか。ジョン・ウィックの決め台詞もこれで納得ゆきました。



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コミック本のカバー買い

ときどきコミック本を、ジャケ買いならぬカバー買いをすることがあります。マンガ作品の「新規開拓」にはこれが必要で、新刊書店めぐりの面白さの一つでもあります。
 遠出をしたとき帰り道の電車の中や、近場でも、珈琲ショップに入って、袋から「カバー買い」したコミック本をとりだして、楽しみにページを開くわけです。しかし、作品には相性というものがあって、場合いによっては自分の好みに合わないこともあります。というか、「カバー買い」で上手くゆくことは、どちらかというと稀であり、これまで何度、それなりの授業料を払ってきたかわかりません。
 では「カバー買い」を止めればよいわけですが、そうしてしまうと「稀な出会い」の方もなくなってしまいます。これまでコラムで紹介してきたような作品を知る機会がなくなってしまうのです。これは、なかなか難しい問題です。

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